看護師1年目の朝、脂汗をかきながら知った「便秘の怖さ」
看護師1年目の朝
私は総合病院の病棟で、朝8時半から点滴を持って各病室を回っていました。
その日もいつも通り点滴の針を刺していたのですが、なんだかお腹の張りを感じ始め、「あれ、なんかおかしいな…」と思っていたら、次第にお腹が痛くなってきたんです。
我慢しながら仕事を続けていたのですが、脂汗がじわじわ出てきて、ついに立っていられないほどに。
「これはまずい」と思い、師長さんに「お腹が痛いです」と伝えました。
師長さんは困った表情を浮かべながらも、すぐに救急外来に連絡を取ってくれ、私はそのまま救急で診てもらうことになりました。
検査をしても、原因が見えない
救急外来で、腹部エコーや触診、虫垂炎の有無など一通り調べてもらいました。
「お通じは出てる?」
先生は聞きました。
前日に少しだけ便は出ていた(固かったけれど)ので
「出ています」と答え、採血や点滴を受けながら様子を見ることに。
しかし、痛みは一向におさまらず。
そして痛くなったり痛くなくなったり、まるで陣痛のような波がありました。
検査でも目立った異常が出ず、「もしかして、便秘かもしれないね」と医師がつぶやきました。
私は「でも昨日出たのに…」と、半信半疑.
ついに「浣腸」 そして、忘れられない30分
結局、浣腸の指示が出てしまいました。
師長さんが「浣腸しよう」と言ってくれました。
私は恥ずかしいから「自分でやります」と言ったけれど、
「いいからいいから」と、師長さんがしてくれました。
まじで恥ずかしかったです。汗汗
あの頃はまだ和式トイレ。
浣腸してトイレにこもること30分。
液は出るのに、便は出ない。
肛門まで来てるのに、硬くてカチカチの「栓」のような便が、どうしても出てこない。
脂汗をかきながら、うめきながら、「出そうで出ない」地獄のような時間が続きました。
途中、心配した師長さんが様子を見にきてくれました。
ようやくその「栓」が出ると、あとは次々に排出。
全部出たときには、もうフラフラ。
でも、お腹の痛みはすっかり消えていたのです。
ってことは、あのお腹の痛みは便秘やったってこと???
そんなの恥ずかしすぎるぅ。。。めちゃめちゃ恥ずかしいやん。
私が“便秘”に気づいた日
「便秘って、こんなにお腹が痛くなるんや」
そのとき、私は初めて“便秘”というものの恐ろしさに気づいたんです。
前日に少し出ていたあの便は、“押し出されただけの一部”だった。
本当はまだまだ腸の中に残っていたんです。
恥ずかしくて、情けなくて、看護師として本当に穴があったら入りたい気持ちでした。
でもこの経験があったからこそ、私は便秘の苦しみに本気で寄り添えます。
あの日の自分のように苦しむ人を助けたい
あの“出そうで出ない”地獄のような30分。
経験した人にしかわからない苦しみ。
便秘を経験したことのない人にはわからない辛さなんですよね。
そして色々改善しようと試みても中々治らない便秘と戦う毎日でした。
だから私は、今、便秘で困っている人を助けたいんです。
便秘で病院に来られる方は少ないです。
ひっそりと便秘で苦しんでいる方も少なくないと思います。
長い年月苦しむ前に、便秘から解放されましょう!
その思いで、発信を続けています。
これからも、同じような苦しみを抱える方の力になれるよう、発信を続けていきます。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
産後の便秘の悲劇
28年前、私は長男を出産しました。
妊娠中から逆子で、逆子体操をいくらしても戻らず。
今なら帝王切開だったかもしれませんが、当時の主治医に下から産みたいと希望を伝えてみたら
逆子の経膣分娩も経験されている先生だったので快諾してくださり、
経腟分娩で出産することになりました。
生まれてきたのは、3600gのBig Baby!
結果、会陰は2カ所切開され、長時間の分娩で膀胱も圧迫され、排尿すらうまくできなくなっていました。
しかも産んだのは、自分が勤務していた病院。
先輩の助産師さんに「自力でおしっこ出さへんかったらカテーテル入れるで」と叱られながら、ようやく自力で排尿できたのを覚えています。
座れない、動けない、いきめない
会陰の傷があまりに痛くて、椅子に腰かけることも、柔らかいベッドに座ることさえできません。
円座っていうドーナツのように真ん中に穴の空いたクッションが手放せず、どこに行くにもそれを持っていました。
私は歩くだけで冷や汗。
なんでこんなに痛いの?なんで?私だけ?
周りのお母さんたちはスタスタ歩いて和式トイレに入って行くのをみてびっくりです。
そんな状態では、トイレでしゃがんでいきむなんて、到底ムリ。
和式トイレなんてもってのほか。洋式トイレが神様のように思えました。
そんな状態なので3日、4日……と日が過ぎても、排便はなく
そのまま退院。
下剤を飲んだら、まさかの大惨事
流石にこのままでは困ると思い、退院するときに「ピコスルファート」という液体の下剤を処方していただきました。
「これで出るはず」と思って自宅で飲んだのですが……
翌日、おむつを替えようと長男のオムツを開けた瞬間、
ブシュッーーー!と、まるで放射線のように液体の便が飛び出してきたんです。
布団までびっしょり。大惨事です。
そう、原因は私が飲んだ下剤。
おっぱい(母乳)を通して、赤ちゃんの腸にも効いてしまっていたんです。
かわいそうなことをしてしまったという後悔
実家で母に洗濯もやってもらっていたので、子供のうんちとはいえ、うんちの飛び散ったシーツや毛布を洗わせてしまう母への申し訳ない気持ち
などなど色々複雑な気持ちでいっぱいになりました。
「産後の便秘は、自分ひとりの問題じゃないんだ」と気づいたのです。
だから私は、便秘のことを伝えたい
産後の体はボロボロで、心も揺れやすくて、
なのに“お母さんになったんだから”とがんばってしまう人が多い。
私もそうでした。
でも、そんな時にそんな時だから「便秘」は確実に忍び寄ってきます。
そして、放っておくと心も身体も、限界に追い込まれてしまうんです。
だから私は、今この発信を通して伝えたい。
便秘で悩む人は、決してひとりじゃない。
どんな苦しみも、誰かの言葉で救われることがある。
私自身が、そうだったから。
人生2回目の浣腸
ギランバレー症候群
あれは35歳のとき、
突然に手足が動かなくなりました。
診断は「ギラン・バレー症候群」。10万人に1人がかかる神経の難病です。
朝、目が覚めたときに「あれ? 手足に力が入らない…」と違和感を覚えたのを最後に、
時間とともにどんどん動けなくなり、集中治療室に運ばれました。
咳もできない、食事も喉を通らない
治療はすぐに始まりました。吸着療法、血漿交換…。
けれど麻痺は進行し、手足、お腹、胸、喉へと広がっていきました。
麻痺した体は血流が悪いので、とても寒く感じました。
でもかけてもらった薄いタオルケットが重くてたまらない。
咳をしたくても腹筋が麻痺しているので、咳が出せない。
唾液すら飲み込みにくく、朝食に出たゆで卵を見て「食べたいけど…やめよう」と諦めました。
夜になると他の患者さんについている心電図モニターのアラーム音がずっと鳴り響き
そのアラーム音が頭の中で異常に大きくなったり、看護師さんの歩く音が急に大きく聞こえたり
ICU症候群にもなりました。
それでもお腹は空く。人間の生命力に、思わず笑うしかありませんでした。
そして、出ない
気づけば、入院から1週間、一度も排便がありませんでした。想定内です。
体が動かない。腸も動かない。
寝たきりでもご飯は食べる。もちろん自分の手は動かないので食べさせてもらってました。
元々が慢性の便秘症なので、1週間溜まったくらいではそんなに不快感は感じなかったのです。
でも主治医に1週間一度も排便がないことを報告されて
また浣腸されることになったのです。
人生2回目の浣腸はICUで。
ポータブルトイレで、見守られながらの排便
少し動けるようになっていたのでトイレに行きたいと申し出てみましたが、願いは叶わず
ベッドサイドにポータブルトイレを用意してもらいました。
ついたてを立ててもらい、師長さんが横についてくれたまま排便です。
恥ずかしさと本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
浣腸の刺激で腸が少しずつ動き始め、
やがてコロコロ便が「カタンカタンっ」と、一つずつ静かに落ちていきました。
お腹が痛い。でも、確かに出ている。
でも、そのたびに思ってしまうんです。
「匂ってるんじゃないか」「恥ずかしいな」「申し訳ないな」って。
大人になってまさかの人前で排便です。
あの恥ずかしさよ。
師長さんは、一度も嫌な顔をせず、
静かに丁寧に寄り添ってくれました。
本当感謝しかありません。
だから、今
便秘で苦しんでいる患者さんが来たら、私は放っておけないのです。
摘便や浣腸はもちろん、再発しないための工夫まで。
先生の指示を受けながら、一緒に考え、寄り添いたくなるのです。
苦しそうな顔が、スッキリした笑顔に変わる瞬間。
私はあの変化に、毎日、やりがいを感じています。
今、便秘に困っている方、一緒に対策を考えてみませんか?